1 「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」とは?
令和5年11月29日に、内閣官房及び公正取引委員会から、「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針(以下、「本指針」といいます。)」が公表されました。
本指針は、公正取引委員会が行った、「令和5年度独占禁止法上の『優越的地位の濫用』に係るコスト上昇分の価格転嫁円滑化の取組に関する特別調査」を踏まえて、労務費の転嫁に係る価格交渉について、発注者と受注者が採るべき行動・求められる行動をまとめたものです。
労務費や原材料価格、エネルギーコストなどのコスト上昇分を取引価格に反映せず、取引価格を据え置くことが、独占禁止法上の優越的地位の濫用、または、下請法上の買いたたきとして問題となるおそれがあることは、公正取引委員会の「よくある質問コーナー(独占禁止法)」のQ&Aや「下請代金支払遅延等防止法に関する運用基準」において、すでに明記されていました。
そのため、本指針が公表される前でも、労務費等のコスト上昇分を取引価格に反映しないことは、独占禁止法や下請法の違反になるとされていました。
しかし、本指針ではより詳細な内容が示されており、また、この指針に違反した場合には厳格に対処すると言及されていることからすれば、本指針が策定されたことにより、違反行為と摘発されるリスクが相当程度高まったと考えられます。
そのため、これまで問題とされていなかった事柄についても、独占禁止法上の優越的地位の濫用や下請法上の買いたたきに該当するとして、違法行為と指摘されてしまうことも考えられ、対応が必要になります。
本指針において、内閣官房が本指針の周知活動を実施する対象として明記されている以下の業種の企業については、特に注意が必要と思われます。
ビルメンテナンス業及び警備業 | 自動車整備業 |
情報サービス業 | 輸送用機械器具製造業 |
技術サービス業 | 金属製品製造業 |
映像、音声、文字情報制作業 | 印刷、同関連業 |
不動産取引業 | 家具、装備品製造業 |
道路貨物運送業 | はん用、業務用、生産用機械器具製造業 |
なお、本指針は、受注会社、特に下請会社のみが労務費を負担することにより、下請会社の従業員の賃料を上げられないことを防ぐためのものであり、実際には岸田政権による賃上げ実現のための指針と考えられます。
2 指針に違反すれば直ちに違法となる?
本指針は、労務費の転嫁に係る価格交渉において、発注者と受注者が採るべき行動・求められる行動を12個定めています。
そして、発注者が12の採るべき行動・求められる行動に沿わないような行為をすることにより、公正な競争を阻害するおそれがある場合には、公正取引委員会が独占禁止法及び下請法に基づき厳正に対処していくとされています。
他方で、12の採るべき行動・求められる行動が適切に行われている場合には、通常は独占禁止法及び下請法上の問題は生じないと考えられると定められています。
そのため、12の採るべき行動・求められる行動を行わなければ、独占禁止法または下請法に違反することになってしまうと思ってしまう方もおられるかもしれません。
しかし、本指針の12の採るべき行動・求められる行動を行わなかったからといって、そのすべてが独占禁止法または下請法に違反するわけではありません。
まず、独占禁止法については、優越的地位の濫用として違法となるのは、優越的地位にあり、その行為・行動によって公正な競争を阻害するおそれがある場合に限られています。そのため、優越的地位にない事業者である場合や、優越的地位にあっても公正な競争を阻害するおそれがない場合には、12の採るべき行動・求められる行動を行わなかったとしても、独占禁止法上の優越的地位の濫用に該当せず、違法にはなりません。
特に、事業者が優越的地位にあるか否かは、様々な要素を総合的に考慮して判断するとされているため(「優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方ガイドブック」3頁を参照)、その判断は難しく、どちらであるか明確に断定できる事例は少ないと思われます。ただし、本指針では、多くの場合に発注者の方が取引上の立場が強いと指摘されている点には、注意しなければなりません。
また、以前は、独占禁止法は大企業だけが関係する法律であり(例えば、談合やカルテルなど)、中小企業・中堅企業には関係がないと考えられてきました。しかし、近年では、中小企業・中堅企業に対しても公正取引委員会が摘発するケースが増加してきており、中小企業・中堅企業であっても無視することのできない法律となっていますので、ご注意ください。
なお、中小企業・中堅企業と独占禁止法については、こちらの記事もご覧ください。
次に、下請法の買いたたきについては、当然ながら下請法の適用対象でなければ違反したことにはなりません。
以上のとおり、本指針に違反したからといって、そのすべてが独占禁止法上の優越的地位の濫用や下請法上の買いたたきとなるわけではありません。
しかし、要件が一義的でなく、違法となるか否かの判断が難しいことから、本指針に反する行為・行動を行う際には慎重にするべきといえます。
3 発注者による価格の据え置きは違法となる?
上記のとおり、本指針は12個の行動指針を示しています。
この12個の行動指針は、一つ一つが重要であり、全てを本記事で解説することはできません。また、本指針が公表されたばかりであり、実際の運用実績等を調査しなければ、適切な解説をすることができません。
そこで、本記事では、「発注者としての行動③」のみを取り上げて、現時点(令和5年12月)でお伝えできる範囲で解説します。
本指針の「発注者としての行動③」は以下のように定められています。
「労務費上昇の理由の説明や根拠資料の提出を受注者に求める場合は、公表資料(最低賃金の上昇率、春季労使交渉の妥結額やその上昇率など)に基づくものとし、受注者が公表資料を用いて提示して希望する金額については、これを合理的な根拠があるものとして尊重すること」
これは、受注者が価格交渉を行った際に、発注者から詳細な根拠資料の提出を求められてしまい、原価等が明らかになることを避けるために価格交渉を断念したというような事例が報告されたために定められたものです。
この指針により、労務費上昇の理由の説明や根拠資料について公表資料に基づくものが提出されているにもかかわらず、発注者が、より詳細な根拠資料や受注者のコスト構造に関わる内部情報まで求めることは、実質的に受注者からの価格転嫁に係る協議の要請を拒んでいるものと評価されてしまいます。そして、その結果価格を据え置くことは、独占禁止法上の優越的地位の濫用または下請法上の買いたたきとして問題となるおそれがあるとされています。
発注者としてさらに注意が必要なのは、「合理的な根拠があるものとして尊重すること」とされている点です。
発注者は、受注者から公表資料に基づいて価格を提示された場合には、その価格を合理的な根拠があるものとして尊重しなければならない結果、仮に提示された価格を受け入れない場合には、発注者が受注者の希望価格を受け入れないことについての根拠や合理的な理由を説明することが求められるとされています。
これは、合理的な根拠や理由がなければ、受注者から提示された価格を受け入れなければならず、受け入れなかった場合には、独占禁止法上の優越的地位の濫用または下請法上の買いたたきとなるリスクが生じることを意味します。
独占禁止法が大企業だけでなく、中小企業・中堅企業にも広く適用され始めていることも考えると、中小企業・中堅企業が行っている企業間取引への影響は非常に大きなものになると予想しております。
4 吉田総合法律事務所の弁護士へご相談を!
令和5年11月に公表された「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」は、岸田政権の眼目である賃金アップを実現するための重要な施策になりそうですが、本指針を厳格に運用した場合の中小企業・中堅企業が受ける影響は大きいと思われます。
なお、公正取引委員会の人員、マンパワーを考えると、本指針に違反している事例すべてに対応できるか疑問もあります。
また、実際に公正取引委員会に違反と判断されたとしても、警告や注意、確約手続で終わることもあり得ますので、排除措置命令や課徴金納付命令が出される事例は多くないと思われます。
もっとも、価格交渉を拒んだり、価格を据え置いたりした場合には、当該取引の相手方が公正取引委員会に告発して調査の対象となってしまうリスクがあります。その場合には、当該取引の価格アップだけでなくレピュテーションリスクも生じますので、注意が必要です。
本指針は、独占禁止法や下請法の知識が必須であり、本指針への対応には、法律の専門家である弁護士の助言が必要不可欠です。
吉田総合法律事務所は、独占禁止法や下請法が関わる取引のご相談もご対応しております。
労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針や独占禁止法、下請法でお困りの方は、吉田総合法律事務所へご相談ください。